会社の歴史History
創業期
1972年 埼玉県福岡町(現上福岡町)斉藤光学創立
1977年 株式会社斉藤光学製作所とし、法人組織化、代表取締役に齊藤登二就任
1985年 秋田県仙北分千畑村(現仙北郡美郷町)に秋田工場を創立
株式会社斉藤光学製作所の創業者である齊藤登二は、前職で研磨加工分野の職人として誇りを持って仕事をしていた。昔の製造業には、今と違って、データもなければ機械のマニュアルもない。そんな中職人は、上司の仕事から技術を見て盗み、覚える。そしてそれらを自分のものとして確立していく。
齊藤登二の研磨スキルが確固たるものになってきた矢先、前職を退職。
彼の妻である齊藤やす子からの後押しにより、独立を決意。そして埼玉県福岡町(現上福岡町)にて斉藤光学を創立した。従業員は齊藤登二とやす子2人、機械は1台から、全ては始まった。
当時を振り返る2人は言う。「仕事はとても楽しかった。当時、お客様から注文が入れば、それは世の中に出ていない、やったことのない、仕事。自分たちが考えて技術を開発し、試行錯誤を繰り返して、お客様の要望に応える。人ができない仕事をこなすことが、とても誇らしく楽しかった。」この顧客の要望に最大限応えるという精神は、斉藤光学製作所の経営理念を通して、今なお続く大事なSaito Spiritになっている。
約15年間、夫婦2人でやりくりしていたが、「周りにできない仕事ができる」というチャレンジ精神と強い覚悟が徐々にお客様から評価され、仕事が増え始めた。それと同時に、従業員を雇うことになった。当時の従業員は仕事も寝泊りも食事も、常に一緒。齊藤やす子が従業員全員分の食事を作り、皆で家の2階に住み、1階で仕事をする。こうすることで、従業員同士の強い絆を育んでいた。
従業員15人。常に一緒であれど、もちろん意見が対立することもあった。過ぎる時間を気にせずに、解決するまで必死に議論を重ねる。このように“繋がり”を大切に、創業当初の苦境を切り抜けていったのだ。
埼玉県にて日々試行錯誤を続ける斉藤光学製作所だったが、ある時齊藤登二の恩師から、秋田県が都会からの企業を誘致しているという話を貰った。齊藤登二の故郷である秋田県、そして埼玉県では手軽にできないスキーができる、旧千畑村(現美郷町)の当時の村長との波長の一致…二つ返事で秋田県への移転を決定した。中小企業が都心で人材確保することは難しかったので、秋田県なら若者を雇えるだろうという期待があった。
そこからはとても忙しかった。秋田県と埼玉県を往復する日々。秋田県で新しく雇った従業員への教育。環境が大きく変わり、ある意味、0からのスタートだったため、経営陣には「後に引けない」という一種の決意が固まっていた。
秋田工場創業
技術
腕時計用カバーガラスの研磨を目指して出発。
事業転換期
1994年 代表取締役社長に齊藤伸英就任
2009年 群馬テクニカルセンター開設
2013年 秋田テクニカルセンター開設
2015年 秋田工場へ本社移転
埼玉県でも新しい開発や試作を続けて行っていたが、仕事が軌道に乗り始め正式に秋田へ。その頃、齊藤登二は子の伸英に、「好きなようにやれ」と社長の役を譲った。伸英は当時33歳という若さであった。その裏には、社長業は決して簡単ではないが、自由にのびのびとやってくれるだろうという期待感が含まれていた。一方社長となった齊藤伸英は、バブル崩壊直後で会社の資金繰りは大変、倒産危機の目前で、会社を立て直さなければいけないというプレッシャーと戦いながら、自分が社長としてしっかりするという強い決意を貫いた。
伸英は新たな事業分野に進出しようと、当時群馬県にあった企業からサファイア事業を継承し、群馬テクニカルセンター(以下群馬TC)を開設。最初の1年は顧客が少なく、利益があまり出なかった。それを改善するため、今にも続くコンサルタントの事業に乗り出した。群馬TCの存在は、斉藤光学製作所の事業領域、ビジネスモデルを大きく変化させた。
群馬TCへは、秋田県に務めていた従業員複数名を派遣。知らない土地に出向することに対しての抵抗、新しい材料の研磨加工にチャレンジするというプレッシャーなど、従業員は様々な困難と向き合いながら、群馬で技術革新に励んだ。秋田県に帰りたいと漏らす従業員も少なからずいたものの、全く新しい技術を学ぶことが従業員の好奇心を満たし、苦労を多く重ねながらも、楽しかったと振り返る従業員は多い。
群馬テクニカルセンター
一方、群馬TCに派遣される従業員の仕事を、秋田に残る従業員が引き継ぐことになり、秋田でも四苦八苦しながら仕事に取り組むメンバーがいた。ただ仕事量が増えただけでなく、技術の引継ぎなど、単純に時間を費やせば解決される課題ではなかったため、非常に苦労した。「あの頃は一生懸命で辛かったのかもしれないけれど、今振り返れば自分の技術を底上げしてくれた経験だった」と言う従業員もいて、群馬TCの存在は、その後の会社の成長を、人事・技術の両面から支えた大きな出来事になった。
群馬TCを開設し4年後、美郷町の工業団地に隣接していた工場を買収し、群馬TCを移転。秋田テクニカルセンター(以下秋田TC)を新たに開設した。当時、開発拠点を関東から秋田に移すことに懸念はあったが、顧客の理解を得て、コンサルタント事業は維持、拡大することができた。
技術
1990年代の中頃は、日本の電子、半導体部門のアジア進出が活発化した時代であり、従来のガラス研磨の国内の仕事は激減した。そのような事情の中で、斉藤光学製作所は1998年に酸化物単結晶(デジタル画像処理用)の研磨に踏み出していく。2007年にはLED用サファイア基板研磨にも踏み出していった。
企業成熟期
2015年 秋田県へ本社移転
2016年 二事業部(ガラス・結晶)に変更
2017年 地域未来牽引企業に選定
2018年 秋田県優良中小企業者表彰を受賞
2020年 はばたく中小企業・小規模事業者300社を受賞
「地方から先進技術を発信していく」という決意のもと、秋田県へ本社移転。その一年後、会社として安定性が出てきた頃、新工場を増築。そこから、秋田工場をガラス事業部、テクニカルセンターを結晶事業部とそれぞれの事業部名を変更した。
2016年には中小企業白書に斉藤光学製作所の取り組みが記載された。中小企業白書とは、毎年5月に中小企業庁から発表される、中小企業の動向を詳細に調査・分析した白書。斉藤光学製作所は、自社の持つ技術をオープンにし、研磨加工に用いる商品開発をサポートする研磨加工コンサルティング業務を行っている。このような業務は業界でも類のないビジネスモデルであったため、国内のみならず、海外からもコンサルティングの依頼がくるようになった。ここには齊藤伸英の、自社の技術を国内のみならず世界のメーカーにも提供することで、市場全体の技術革新を促すべきであるという信念があった。また、それにより自社の情報も蓄積され、さらにレベルの高い技術サービスを提供することができるという考えがあった。結果、中小企業庁から国内外の需要を生み出している企業だとして評価された。
本社移転
会社の様々なチャレンジが評価され、経済産業省による2017年度地域未来牽引企業に選定された。地域未来牽引企業とは、地域経済への影響力が大きく、成長性が見込まれるとともに、地域経済のバリューチェーンの中心的な担い手、及び担い手候補に贈られるもの。斉藤光学製作所のコアテクノロジーである研磨技術を武器に、光学材料から次世代半導体まで幅広い材料分野において、受託加工、受託評価・研究、加工コンサルティングなど、表面創成に関するトータルソリューションを提供していることが高く評価された。
また、斉藤光学製作所は、新たな日本の中小ものづくり企業のスタンダードモデル構築を目標とし、経営手法として単純なコストだけではなく、情報と技術を競争力の源泉と位置付けた事業運営を行っている。中小企業ながら、M&Aや事業承継を実施し、社内体制を高度化しつつ、新たな分野へのチャレンジを続けている。営業部門を持たず、学会、専門展示会における発表、展示を通してエンジニア to エンジ二アのダイレクトなつながりを開拓し、これを新たな事業の創出に繋げている。これらの経営方針も称賛された。
技術
2010年頃より、次世代パワー半導体基板の研磨技術確立に向けた研究開発事業にも着手した。現在ではSiC,GaNといったパワー半導体基板の試作研磨加工を手掛ける。また、オープンイノベーションの考え方で、培ってきた研磨技術を活用し副資材メーカー様をはじめとする他社様の開発支援を行いながら自社の研磨技術向上を目指している。
これから…
Coming soon・・・